2011年5月25日水曜日

D・カーネギー「道は開ける」

P142より

神よ、われに平静を与えたまえ
変えさざるものを受容するために
変えうるものを変える勇気と
その相違を悟るための知恵とを。

マザー・グースの一節より

すべてのこの世の病には
治す手だてがあるか、なし
手だてがあるなら見つけよう
手だてがないなら忘れよう

2011年5月23日月曜日

夫婦の形

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新書太閤記第二巻。秀吉が寧々と結婚した時の夜の会話。

寧々に結婚するにあたって頼んでおく事はただ一つである。と秀吉

秀吉「それはだな・・・良人の御奉公、良人の仕事、すべて日常のわしの働きを、妻たるおまえも共々よろこんでくれればいい。それだけだ」

寧々「・・・・?」

秀吉「やさしいことだろう。しかし、やさしくない。長年長く慣れ過ぎた夫婦を見い。良人が何を働いているか知らぬ妻。良人がいかに喜ばせようと苦しんでも喜べない女房どもが、軽輩にはないが、大身方の奥ほど多い。そうなると良人は、ひとつの張合いを失う。天下国家のために働こうという男も、家にあっては、小さい者、あわれな者、弱い者。わけてわが妻によろこばれるのが張合いだ。喜んでさえくれれば、男はまた、あしたの戦場へ、勇気づいて出て行こう。まあ、内助とでもいうことかな」

寧々「かしこまりました」


今も昔も同じなんですね~。
なんか響いたなあ~。これを実行出来さえすれば働きに働ける人はたくさん居るんだろうなあ~。

2011年5月17日火曜日

D・カーネギー「道は開ける」

P191

「怒れない人はバカ、怒らない人は利口」


納得・・・

2011年5月16日月曜日

D・カーネギー「道は開ける」その5

P119

保険というのは、まれにしか起こらない出来事を気に病むという人間の性質を利用するもの。
平均法という値に基づいている賭け。一般人が想像するほど多くは起きない災難に対して平均値の法則によって保険を引き受けている。保険屋は確かに大きく儲け、平均値という意味では顧客は支払よりもリターンは少ない。しかし、「不安をヘッジ出来る」という要素を加えれば顧客も大きな利益を得る事が出来る。


不安というものにはキャッシュポイントがあるんだなあ。


どのような解決を顧客が求めていて、何を提供すれば解決が出来るのか。

不動産が本業である自分にとっては些細で解答が明確にある事でも、顧客にとっては一大事であり、不安に恐れおののいていることがある。それの解決をする商品を提示することは、非常に利益につながる上、WIN-WINの関係が成立するのではなかろうか。

6.心の中から悩みを追い出すには

「多忙にしておくこと」

である。
その状態に自分を置いておけば、絶望感に負けない自分が作られる。多忙では無い場合、その時間は絶望感や悩みにフォーカスされ、それらはさらにより多くの時間を食おうと侵略をはじめてしまう。多忙にしておき、その状態を自分が「好ましい」と定義しさえすれば、悩みに食われることはない。なぜなら多忙でHAPPYなのだから。
何がHAPPYで何がUNHAPPYなのか。世の中は沢山のステキな情報を私にプレゼントしてくれるが、残念なプレゼントも沢山投下してくる。「良い企業はGWが10日間」
それ自体が良くないというわけでも僻みでも否定でもないが、自分にとってGWが十日もあることは果たして好ましいのだろうか?10日と言えば自分の平均仕事時間に換算したら120時間である。ハッキリ言って120時間でやれる事は多すぎる。

その問題の解決はこうだ。
「GWがほぼとらない。なぜなら仕事が出来る事そのものが自分にとって非常にHAPPYな事だから。」

そう言うための美辞麗句を自分にたくさん装備すれば、余暇が多い事は決して自分にとって良い事とも思わないだろう。お金持ちほど余暇が少ない。それだけ肝に銘じておれば万全であろう。

2011年5月15日日曜日

Dカーネギー「道は開ける」第二のルール

第二のルール
1.「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
2.やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
3.それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。

非常にシンプルである。
何かを行なう時に、最悪の事態を考える。するとほとんどの事象はおそらく、「命や資産まで奪いやしない」という事に気付く。
漫画「バガボンド」の中にある一場面が思い浮かんだ。

吉岡清十郎と1:1で 戦うシーンで、武蔵が「最悪の場合どうなる?」と思い描いた頭の中のイメージは、吉岡に斬られて死ぬという事。ただそれすらも、「ま、それだけのことだ」と。

死ぬ事に対する恐怖は、死んだ事がないから考えてしまう恐怖である。ただ、色んな先哲や先輩の死を見てきた中での私のイメージは「死はそこまでまんざらではない」という事。

そこで自分は自分に定義した。
私の事を知る人は何度か耳にしたことがあると思う。

「早く死にたい」

という事。
ただそれでは、人類というものが誕生して以来、脈々と私に血液、精神等を受け継いで下さった先祖の方々に受け入れてもらえない。
だから
「超頑張る。死ぬまでは、死を厭わずに頑張る。」

この2つは相容れない関係にあるかもしれない。しかし2つを胸に秘めて頑張れば、少なくとも恥ずかしい死に方はしない。先人のように皆に惜しまれて死ぬ事が出来るかもしれない。

という事でこれを踏まえて3つの事にチャレンジ。

1.「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
→死ぬ程度の事である。
2.やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
→やむをえない場合には死を受け入れよう。しかし、「やむをえない場合」という単語も、「最大の抵抗をした後に」、という接頭語をつけよう
3.それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
 →それ以上に最悪な事はないんだから、上しかないと思い込もう!

 最悪な事にフォーカスすると色々な事が見えてくる。せいぜい相手に怒られる程度だったら???ショボっ。

Dカーネギー「道は開ける」

まずは冒頭部分の投稿。

”今日、一日の区切りで生きよ”
非常に感銘を受けた。とてもシンプルな格言です。一日の区切り。簡単に、今日を精一杯生きる。昨日の事は考えている暇は無いし意味が無い。明日の事は今日の延長であるから明日考えればいい。
しかしながら人間は、過去や未来に捉われる。何かに捉われてしまうと、木を見れば森が見えず、森を見れば木が見えずになるやもしれない。

何を見るべきなのかをまずは明確にしなければならない。

一日単位で生きるという事は、将来を考えず、ロバートキヨサキ氏の言うところのいわゆる「Rat Race」になる、というわけではない。

RatRaceに陥らず、その日一日の区切りで生きる。


”過去と未来を鉄の扉で閉ざせ。今日一日の区切りで生きてみよう”

過去を振り返り、それを踏まえて今日の行動を決める。未来を思い描き、それに向かって今日の行動をする。二つとももちろん大切な事である。
しかし、それよりも大切な事であるとカーネギーが言っている事。下記の、文中にある5つの問いを投げかけた時にそれが非常に分かるであろう。

1.私は未来に不安を感じたり、「水平線のかたなにある魔法のバラ園」にあこがれて、ともすると現在の生活から逃避していないだろうか?
2.私は、過去の出来事ーすでに決着のついたことがらーを後悔するあまり、現在をも傷つけてはいないだろうか?
3.朝起きるときに「今日をつかまえよう」-この24時間を最大限に活用しようーと心に誓っているだろうか?
4.「今日一日の区切りで生きる」ことによって、人生をもっと豊かにできるだろうか?
5.以上のことをいつから始めるべきか?来週から?明日から?それとも今日からか?

今まで出会った色々な方、色々な場面での自分にこのアドバイスを投げかけるだけで人生が大きく変わる気がする。